ポップでキュートな

 

 

“DuGaraDiDu”

どうしても見たくて、見れなかった

深瀬さんがディズニーみたいなライブだと言っていた

でも叶わなかった

 

 

 

でもね!見れたの!

2年前の私に言ってあげたい。

DuGaraDiDu見れるよ。それも、3回も。

当初の内容とは違うものだけどでもとっても素晴らしい。

 

 

 

 

Blue Planet Orchestraは音楽性に特化したライブだとすると

今回はストーリー性に重きを置いているようだった。

(=音楽性を重んじてない、ということではないもちろん)

元来ライブ、それもあんなに大きなドームで!やるような内容ではないのだと思う。

センシティブな事柄が多かったから。

でもそれを堅苦しくなく説教じみた感じでもなく

さらっとポップに伝えてくれる。

ライブひとつがまさにセカオワの楽曲のように仕上がっていた。

 

 

 

 

プラスチックの話なんて、ガルルが「宝石みたい!」だとか

「きっとたくさん海の底にあるのね」だとかわくわくしながら言うんだもん。

プラスチックは便利ということくらいなら思いつくけど、綺麗と思うだろうななんて

どう思いつくのだろうか?

なにかの雑誌で語っていたが、客観的でフラットな視線で現在を描くことに

成功していたなと思う。

 

 

 

ジェンダーの話も難しかっただろうな。

言葉一つできっと誰かを傷つけかねないし。

「男女の組み合わせしか習っていなかったからみんなびっくりしてしまった」

みたいなことをグルルが言っていたと思うけど

確かにそうだよな、と。

わたしたち世代はまだしもその上の、またその上の世代の人たちは

そんな概念さえ知らずに学生時代を生きていたのだから

排他的になってしまうのは(どうしても白い目で見てしまうけれど)

しょうがないことなのかもしれない。

だからって受け入れないことを正当化しちゃだめだけどね。

 

 

 

 

セトリは正直‥なんか不思議!と思った。

先にセトリを決めていたようで確かにストーリーにはどれもぴったりだった。

でもきっとHabitで興味を持った人にとっては少々とっつきにくいセトリだったのでは?

不死鳥と天使と悪魔を久々に聴けたのがとっても嬉しかった。

あと、ライブ後はEveが頭から離れなかった。

 

 

 

 

席がとても近い公演があり、夢みたいだった。

今までで1番近かったのでは‥

深瀬さんの表情は毎秒魅力的だった。

カメラに抜かれていない時でさえ。

また近い席があればいいなと思う一方で

スタンド席の良さも感じた。

結局セカオワのライブってどこにいたって楽しい!

写真を撮るのがすごくすごく楽しかった

好きな人たちを撮るのってこんなに楽しいんだ!幸せなんだ!

もっと前からもっと本格的にカメラ持っていってれば良かった。

好きな人の、一瞬しかない素敵な表情を捉えたい。

同じ表情は2度とないのだから!

 

 

 

 

個人的な話、最近何もしても楽しくなくて上の空で

例えば旅行してもすぐに疲れるし集中できなくて最悪だった。

前はいろんなこと楽しめていたのに。

でも今回のライブは久しぶりに楽しくて終わってしまったのが悲しくて

戻りたいと思えている!

すごく嬉しい。

ライブが終わってしまったのが悲しいと思えている自分が嬉しい。

わたしの人生を明るくしてくれるのはいつだってSEKAI NO OWARIだ。

 

 

 

 

大好きだ!存在してくれてありがとう。

 

 

 

 

 

2年ぶりの彼らと、ねじねじ


Blue Planet Orchestra


SEKAI NO OWARI、記念すべきメジャーデビュー10周年のライブ。
参戦いたしました。



わくわくと、どきどきと、
あ、わたしこれのために生きてたんだわそういえばと思い出した。




2年ぶりのライブ。
ずっとずっと待ってたんだよ。

なかじんのMCで
待っててくれてありがとう
と言ってくれて、
そう!待ってたの!すごく!と
叫びたくなってしまった。





ザ  セカオワなライブだったなあ。
コンセプトめっっっちゃくちゃ好きだった
セットも信じられないくらい綺麗で
大好きな4人がとっても楽しそうで


さおりちゃんが
お客さんが見えて泣いてしまった、と
言っていたけれど
わたしもセカオワと会えて嬉しいし、
会えて嬉しいしといってくれたのが
すごく嬉しかった。

ライブ終わりもなぜだか寂しさはなくて
(こんなことは初めてだった)
すごく満たされた、というのが当てはまるんだと思う。


未来が見えたのかもしれない。
昨今のご時世で、何度
もうセカオワには会えないかもしれない
ライブはやってくれないかも、と
絶望したことか。

でも、これからもきっと会えるんだなって思えて安心したなあ

わたしはセカオワを生きがいに生きているけど、
セカオワがファンに会えて嬉しい!といってくれるのは、気持ち悪いけど一方通行じゃなかったんだなと思ってしまうのです。
そんなことに気づいたライブでした。

ずっと片想いと思ってたよ〜。







セカオワに浸りたくて
「ねじねじ録」をいまさら購入し、届いた今日、読み終わった。


解散するという文字は心臓に悪かった。
さおりちゃんは、解散をやめた理由を
ファンと書いてくれていた。
とっても嬉しい。

でも、ファンはもういなくていいか
歓声とかもう聞き飽きたなとなったとき
解散してしまうのかと
危うさも感じてしまった。


わたしはセカオワにずっと4人でいてほしいよ。
エゴだし、セカオワには自身の都合も気持ちもあるけど、でも永遠にいてほしいよ。
「いつまでも僕は、いつまでも僕は、この4人でいたい」と言ったじゃないか。

だから、永遠でいてね。



2019年に解散の危機にあったとき、
わたしは何にも気づけなかった。
さおりちゃんと深瀬さんが「上手」かったんだと思う。
うますぎる。
わたしは鈍感すぎる。
世界一だいすきなバンドが解散しかかってるのに
「The colorsまじよかったわ〜!」
などと言っていたのである。呑気だ。


仮に解散となっていたら・・
考えただけで胃が痛くなる。体調不良。


だからさ、解散するんならいやだけどさ、
5年くらい前からいっておいてね。
いや、カウントダウンもいやだな。
わたしが短命であるしかないかもしれないな。



ねじねじ録の話に戻るけど
わかっていたけどさおりちゃんってめんどくさい性格だな〜!!と思った。
さおりちゃんごめんなさい。
でもね、めんどくさいのを自覚しててまた悩んでさらにめんどくさくなっちゃってるさおりちゃんがとっても人間で、そんなところが愛おしい!


しかも、そのめんどくささって少なからず人類みなもってるものなんだと思う。
どこかに小さなさおりちゃんを飼ってるんだよ、みんな


たぶんさおりちゃんは一生自分に満足できない人だよね。
さおりちゃんがすこしでも満足できたら、
そのお手伝いをファンがちょっとだけでもできたら
いいなあと思ったのでした



こんなに色々考えるきっかけをつくってくれて
いつもありがとう。


10周年ドームツアーが中止になったのにさらにあの4人組が好きになった日



先日、Du Gara Di Du の中止が発表された。


なんとなく覚悟はしていた。コロナの影響を考えたら開催する未来の方が想像しにくい。


メンバーがLINELIVEをするという告知があってわたしは浮き足立っていた。大好きな4人組が集まってるとこ、久しぶりに見れる!それだけのことが本当に嬉しくて。


なかじんが口を開きツアーの話を始めた。かなり嫌な予感が広がったけど気付かないふりをした。



「中止することになりました」



ああ、やっぱりか。



ああ、そっか。



なくなったんだ。




なんとなく夢みたいな感覚だった。わたしの半分が受け入れ、半分が拒絶していた。息がしにくくなる。

悲しかった。


ずっとずっとずっと楽しみにしていた、大切な10周年ドームツアー!


深瀬さんがディズニーみたいなライブを作ると言っていた。さおりちゃんが最近やってない曲を入れると言っていた。


これだけで、またあの世界に連れて行ってくれるんだと確信していたのに。


本当に本当に見たかったな。4人が作り上げるはずだったドームツアー。


悲しい日だった。




でも、驚くことにすごく嬉しい日でもあった。


中止を発表した後メンバーが詳しく経緯を教えてくれた。

ギリギリまで粘ったこと。メンバー自身もどうしてもやりたかったこと。でもどうしようもなく中止という判断になってしまったこと。


それから、来年必ず何かやるということ。10周年の記念は祝いたいということ。


メンバーから言葉で伝えてくれたことがどんなに嬉しかったか。


ファンの気持ちを汲んでくれてまた何かやると言ってくれる。これ以上ファンにとって幸せなことないです。


お知らせの後は三つの企画までしてくれた。

4人のやりとりを見ているうちにどんよりとしていた気持ちはどこかに飛んでいき、あったかくて穏やかな気持ちだけが残った。


深瀬さんがのせたLINEのトーク画面で、自身がこのLINELIVEを提案しそれにメンバーも賛成してくれて開催したこと、そしてメンバーが「提案してくれてありがとう」と言っていたことがわかった。いい関係だ。めちゃくちゃ言いたいことはあるんだけど言葉がついてこない。すっごくいい関係だな。10年経っても素直に感謝が伝えられるの、すごい。こういうとこがすごく好きだな。また心がじわっとあたたまった。


そしてもう一つ深瀬さんのメモ帳のツイート。本当に嬉しくてつい保存してしまった。

ドームは難しいけどライブは考えるとか、待っていて欲しいとか、死ぬほど考えるとか、一緒に祝いたいとか。

その言葉ひとつひとつが本当に嬉しくて、宝物だ。

深瀬さんの言葉には嘘がひとつもなくってまっすぐだなといつも思う。深瀬さんじゃないからわかんないでしょと言われればまあそうなんだけど、でもわかるんです。

ずっしりしてて心に溜まるって感じ。簡単にはどこかにいかないよ〜って感じ。


ツアーが中止になるという悲しいお知らせのはずなのになんだかとってもセカオワへの好きが増したという日でした。


セカオワならきっときっと、すごいことを用意してくれる。その日を楽しみに、日々を生きていこう




好きな人が死んだら

 

 

 

 

好きな人が死んだら

どうなるんだろ

 

泣き叫ぶのか、目の前が真っ暗になって感情が死んでしまうのか

好きな人はもう帰らないと絶望するのか、

遺影に写っているのを見て笑うのか

思い出が蘇って苦しくなるのか

DVDを見返して彼らの映像が残っていて良かったと安堵するのか 

好きな人がいなくなってもそれでも世界は素晴らしいとでも言うのか 

 

ぜんぶ、きもちわるいな

 

 

あるバンドのボーカルがなくなったそうだ

それがきっかけでこんな記事を書こうと思った

彼のファンにとっては悪でしかないだろう

きっと辛さは当事者にしかわからない

同じだとは思ってない

でも、考えちゃうんだ

好きな人たちがこの世からいなくなったら。

 

 

わたしの好きな人たちはわたしより10歳くらい年上だから、

どちらかといえば彼らのいない人生を送る確率の方が高い

こわい

わたしの生きがいは彼らで、彼らがわたしの人生なんだ

別に30年後もそうかと言われたら約束できるわけでもないけど

3年後の自分はこのブログを見て笑うかもしれない

「永遠なんてないんだよ」

そんなこと知ってるよ

でも、今は本気でそう思ってるってだけ

 

もし彼らと出会っていなかったなら

わたしは音楽なんて聞かない

聞いたとしてもヒット曲をちょろっと。

カラオケで歌えるレベルに。

バイトはしてるだろうか

彼らのライブに行くためにお金を稼いでいると言っても過言じゃないし

1ヶ月3万あれば事足りてるかもしれない

大学はたぶん落ちてた

センター試験の英語、全くできなくて、悲しくて

10分ほどの休憩で「fight music」を聞いた

「僕らがいますぐ欲しいのはソレから逃げる理由なんかじゃなくて

僕らがいますぐ欲しいのはソレと戦う勇気が欲しいんだ」

そうだ、逃げちゃダメだ

希望を捨てちゃダメだ

戦えば道が見えてくるかもしれない

そう思わせてくれた

目の前のことに一生懸命になろう

その後のリスニングではほぼ満点を取れた

 

彼らはわたしの人生に影響を与えすぎている

 

好きな人たちにこんなにも左右されているのに

死んじゃったらどうすればいいの?

 

そういえば、彼らの楽曲にはよく「死」が扱われてる

 

僕は過去も未来もこんな好きなのに

どうして死んでしまうの  (死の魔法)

 

神様わたしにも死の魔法をかけて

永遠なんていらないから

終わりがくれる今を愛したいの  (不死鳥)

 

喜んで笑って楽しんで悲しんで

死んでく  (生物学的幻想曲)

 

すべてかくと大変なことになるのでしないけど

 

彼らの死生観はいろんなものがあるんだけど

死の魔法のの歌詞がいまのわたしにぴったりだ

 

不死鳥みたいに生きたいよ

いなくなってしまう未来を見るより

彼らが輝く今を見ているほうがきっと

幸せだ

 

でもさ、しょうがないよね

好きだから考えちゃうんだよ

 

 

さっきもさ「fight music」の歌詞を書いてたら

嫌で嫌で逃げている就活も、ちょっとは向き合おうかなって思ったりして

また動かされてるじゃん

 

SEKAI NO OWARI に。

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「悲しみのない世界であなたを愛せるかな」

 

 

 

 

「ふたご」を読んだハタチの思うこと



わたしの大好きなバンド、SEKAI NO OWARIの、Saoriちゃんこと藤崎彩織さんが小説を書いた。


「ふたご」


この話を読んでたくさん書き留めたいことが出てきた。

同時に、ハタチのわたしについても言葉にしておきたいとも思った。よくわからないけれど貴重なんじゃないかなって思うから。


文章を書くのは下手だけど、別にいいと思う。書き残すのが目的なんだし、うまくいかなければ別に消してもいい。


ハタチのわたしにとって、SEKAI NO OWARIという存在はとても大切で大きいものだと思う。


大きいといっても毎日毎時間彼らについて考えているわけではない。頭の片隅にいつもいる存在。それが積み重なってるから大きいんだ。ずうっと頭の中にあるものってそうそうない。


彼らのことを知ったのは、五年前の冬。一目惚れならぬ「一聞き惚れ」だった。自分では一聞き惚れだと思ってるけど誰にもいったことはない。だって恥ずかしい…。運命を信じてる人みたいじゃんか。


深瀬さんの声を聞いて、その瞬間好きになってしまった。そんなの初めてだった。


弟がテレビのチャンネルをぐるぐる回していて、その間にMステが映った。たぶん2秒くらいだった。その2秒で好きになっちゃった。すぐに弟からリモコンを奪ってMステに戻した。


これが “SEKAI NO OWARI” か、変な名前のバンドがいることは知っていたけど、まさか今流行りのバンドを自分が好きになるとは。ミーハーみたいでちょっと嫌だなと思った。だって、あの、「セカオワ」だよ?


とかなんとか思ったけど、好きになっちゃったんだからしょうがない。他の曲も聴きはじめた。結果、全部好きだ。どストライクだった。でも「幻の命」の4人の、特に深瀬さんの雰囲気がちょっと怖かった。


それからライブにもたくさんいった。約5年間、なんだかんだずっと好き。熱しにくく冷めやすいわたしにとってそんな存在いままでにはなかった。ずっと好きでいられるものがあるのは幸せだなと思う。SEKAI NO OWARIはわたしの宝物みたいな存在だ。彼らにいいことがあればなんだかわたしまでウキウキしてしまう。関係ない存在なのにね、面白いな。


そんなSEKAI NO OWARIのさおりちゃんが小説を出した。しかも直木賞ノミネートまで!そりゃあ、読むでしょ。好きな人の書いた本だもん、読むに決まっている。




読んだ。

感想を書いておかねばと思った。それに、気持ちを整理しておきたいと思った。でも、難しいなあ。途切れ途切れにはなるだろうけれど頑張ってみる。





「ふたご」を読み終えて、いや、読んでいる最中に「ああ、やっぱりそうなんだ」と思った。「さおりちゃん、深瀬さんのこと『好き』なんだ」。好きだなんて軽い言葉を使うのはなんか違うってわたしにでもわかる。でもそのことについては後で書こう。とりあえず、さおりちゃんの、深瀬さんに対する気持ちを「好き」だとしておく。


たぶん、セカオワのファンであるならみんな(ファンではない人でもそうかもしれない)深瀬さんへのさおりちゃんの気持ちを知っていた(る)と思う。



小説なのに、彼らのことだと思って読むのはおかしいという人もいるだろう。でも、「ふたご」は小説だけど、セカオワが好きで、さおりちゃんが好きで、この本を読もうと思った人ならやっぱり現実のセカオワに照らし合わせてしまうんじゃないかな。きっとフィクションではなくノンフィクションとして読む人も多い。全部が全部真実であることはないけど(ノンフィクションだってそうだ)、これはしょうがないことだ。さおりちゃんがそれを逃れられないことを一番知っているし、受け入れた上で書いたのだと思う。“ 自分の経験をもとにして ”ともどこかに書いてあったような、なかったような。


これが勘違いであったとしても別に構わない。さおりちゃんはやめてほしいと思うかもしれないけど、読み物は書く側じゃなくって、読者がどう受け取るかの方が重要だって誰かが言ってた。


それで、話を戻すと、さおりちゃんが深瀬さんのことが「好き」なのは小説が出る前から明らかだったってことだ。だって、わかりやすすぎる。テレビでもライブでもどうみても、さおりちゃんはいつも、深瀬さんに特別な眼差しを送っている。音楽番組のほんのちょっとの時間でもわかる。他の2人への態度とはやっぱりかなり違っている。本人が聞いたらたぶん嫌な気持ちになるだろうけど、さおりちゃんはすごく「女」だと思う。わたしははっきり言ってしまうとさおりちゃん“ みたいな ”女は好きじゃないな…。でもさおりちゃんは好きなんだ。ずっと幸せでいて欲しい。話は少し離れてしまうけど、月島ではない男性と結婚したなっちゃんはどういう気持ちなのかな?気持ちを吹っ切ることができたのだろうか。結婚したからこそこの小説を出版できたのかな?なんて考えてしまう。



深瀬さんは本当に不思議な魅力をもっている、と一ファンのわたしでも思うけれど、ずっと隣にいるさおりちゃんでさえもそう言う。人を惹きつける選ばれた人間だと。


なんでそんなに深瀬さんを特別に扱うんだろうと思っていた。でも、「ふたご」を読むとそのかけらが理解できた気がした。さおりちゃんと深瀬さんが共に過ごした時間はあまりにも重すぎる、大きな意味を持ちすぎていると。


深瀬さんが高校を中退したこと、アメリカンスクールに行ったこと、パニックを起こしたこと、ADHDであること…事実だけは知っていた。でも、単なる経歴として、知識として自分の中にあるだけだった。今の深瀬さんからいくらなんでもかけ離れすぎてない?かわいそうだと彼の過去を思って泣くことも憐れむこともできなかったし、別にしなくていいと思っていた。いや、別にしなくていいんだ。でも、思ったより何千倍も衝撃的な事実だった。なんだろう、信じられないという言葉が合うな。かわいそうとも思わなかったし、泣きもしなかった。悲しくもなかった。ただただ意味がわからなかった。こんな人、わたしの周りにはいない。ていうか、こんな人生存在するのか…


自分は、冷徹な方だと思う。友達からもよく言われる。ぱっと見は高そうに見えるかもしれないけど、共感能力が低い。だから映画を見ても、本を読んでも入り込むことができない。作品が悪いということではない。だから、この本を読んでも「月島はちょっと電話するの控えたら…?」「なっちゃん月島の状況少し考えあげなよ…」とか思ってしまう。月島の病気や人生についても客観的にしか見れない。


「ファンタジーみたい」とも思った。月島の人生は幻のような、そして嘘のような現実だ。彼の経歴というのは、ファンタジーを追い続けるセカオワにとっては彼ら自身をファンタジーにするための武器になっている。面白くないですか?わたしはすごくツボです。


他の2人についても書いていこうと思う。まず、でぐりん。彼のイメージ、真面目、穏やか、いい人、以上。先に言っておくけど全くディスってるわけじゃない。大好きだ。あんなに「真面目でいい人」を具象化したような人を見たことがない。画面を通して、だけど。でも、それだけじゃなかったんだなあ。(当たり前だ)月島となっちゃんが喧嘩して突然出て行ていって帰ってきたときのでくりんの台詞がとっても好きだった。深瀬さんがセカオワに「必須」であるとすればたぶん一番セカオワに「必要」な人なんだと思う。どうしてあんなに寛容になれるんだろう。まっすぐなんだろう。なかじんと話せる機会がこれからの未来にあるならその秘訣が聞きたいな。秘訣なんかきっとないんだろうけど。


そして、ラジオ。うーん。正直言ってラジオに特に思い入れはない…(笑)いや、ラジオからしたら一個人が何ぬかしてんじゃって感じだと思う。(笑)でも、なんとなくイメージは変わった。お面かぶってて表情見えないし、作詞作曲なんもやってなくてやる気なさそうだし、ツイッターではゲームかおもちゃの話しかしないし…(我ながら散々だなあ。)何かのインタビューで他のメンバーが「ラジオがいることで緩和される」って言ってたのも聞いたけど、へえそうなんだ、くらいにしか思わなかった。なんも考えてないだけでしょ…みたいな。いや、多分これはあっている。でも小説を読んで、セカオワの中ではそれが本当に求められることもあるんだなと思った。いてもいいんじゃなくて、いて欲しい存在なんだな。ラブはわたしの中ではプラス1くらいだったけど、プラス4くらいにはなった。何様だ。ごめんなさい。


あとは、この小説の1番の主軸ともいえる「愛とは何か」という問いについてだけど…うーん、20歳のわたしには難しすぎる。いや、年齢は関係ないのかもしれない。いつになってもわからないのかもしれない。だってだれも説明できていなくない?愛とは〇〇だという人がいても、それって愛の1つの側面でしかなくない?と思う。いろんなところからみてそれをひとつひとつ言葉にするのはできるのかもしれないけど、全てを包括的に説明できる人なんていない。




ひとつわたしが今思ったこと。


「愛」とは「愛について考えること」なんじゃないかな。


これも1つの側面だけど、今のわたしにはしっくりきた。


だって、いまわたしがしていることはきっと「愛」だ。




SEKAI NO OWARIを愛しているから、その愛について考えているんじゃないかって、ハタチのわたしはそう思う。



(さおりちゃんがこのブログを見てくれたらなあ、なんてね。期待くらいしたっていいでしょ。)